「イワさんとみったんの場合」




ごちゃごちゃと、触れたら壊れそうなものばかりがある商品棚。
甲高いアイドル声が歌っている流行りの歌のBGM。
それにも負けないあちこちでさざめく甲高い声の波。

頭痛がしそうだと、大岩和澄は目も眩む思いだった。こんな場所、本来ならば一秒だっていたくはないし、そもそも来ようとも思わない。

「うーん、やっぱりこっちかなぁ。女の子はやたらピンクが好きだし」
「…どっちでもいいだろ、んなもん」
「でも使い勝手から言うとこっちの方が良いんだよなぁ。…イワさん、どう思う?」
「だから、どっちでもいいっつってんだろ」
「…あのねぇ、イワさん」

連れの男は、ため息をついて和澄を見上げる。和澄にしてみれば、こいつはどうしてこうも平気な顔をしてここにいられるのだろうかと思うのだが、彼は先ほどから周囲の女たちとさして違和感なくこの場にいて、かつ商品をあれこれ物色しているのだった。恐るべき順応能力だ。

「せっかくみったんのプレゼント選んでるんだからさ。イワさんもマジメに探してくれよ」
「…わからねぇから、お前に任せる」
「いーわーさーんー?」

眉を潜める男―赤城大地―に、和澄はうるせぇ、と毒づいて離れようとし、けれども今この場でこいつから離れるのは孤島に漂流するのと同じくらい不安だ、ということで結局はその場に留まった。まったく不本意な状況だ。

みったん、というのは、本名「藤野実衣子」という女のあだ名である。
彼女は、和澄から見れば正しく絵に描いたような「かわいい女の子」で、そしてそれは彼女を見た大抵の男が抱く感想でもある。
和澄が彼女に出会ったのは、はばたき学園高等部に入学してからで、一年の時に同じクラスだった。
当時、和澄は自分の「かずみ」という名前があまり好きではなかった。オンナみたいな名前だと思っていたし、そう言ってからかわれる事もあったからだ。
しかし彼女は自己紹介の時間が終わったあと、わざわざ自分の席の傍まで来て、「かずみくんって女の子みたいだけど、きれいな名前だね」と、にっこり笑顔で言ったのだった。ついでに「でも、大岩くんってかずみって感じに見えないけどね」とも付け加えて。うふふ、と、笑顔付きで。
これが、その辺の男なら睨み据えるか、あるいは状況に応じて手を出す事も辞さないところだが、その時和澄はそのどれもする事はなかった。

彼女の笑顔を前に、和澄は微動だにできなかった。

実際、藤野実衣子、通称「みったん」は、そういう行動を許される女だった。彼女以外の人間では許されない行動や言動も、彼女は許されるのだ。そういった事が原因で彼女は周囲から孤立することはなかった。むしろ、「かわいい」と言ってかわいがられる。彼女はそういう子だった。
そう、かわいい。何をおいても、とにもかくにも「みったん」はかわいい。自分と彼女が同じ種類の生き物だとは到底信じられない。同じように見えて、実はまったく別の、例えば妖精だとか天使だとか、そういう類の存在なのではないかと日々感じずにはいられないくらいにはかわいい。

男というのは、そうやってカワイイ女の子にすぐ騙されて、どうせ見た目しか見えていないのよ、などと言う話を聞くが、そんな間抜けな事をほざく女には容赦なく背負い投げである、と和澄は思っている。(そして、そういう事をしたり顔で言う女に限って、心の醜さを表しているかのような不細工な面をしている。というのが彼の持論だ)彼女のかわいさとはそんな見せかけの、虚ろなかわいさとは違うのだ。こんな野暮ったく男くさい、気の利いた事も言えない、柔道しか知らない男の心の中でさえ、彼女は容易に変えてしまうのだから。


と、いうような事を、今一緒にいる赤城大地に話すと、彼はしばらく考えた後に「…それってイワさん、みったんの事が好きって事なんじゃないの?」とあっさりと言った。


衝撃的事実だった。好き?つまりそれは恋愛的な意味での?
しかし衝撃的事実の発覚は、実は高校一年の春、自己紹介の時間が終わった約一月後の話だったので、もう随分古い話ではある。


ついでに言えば、この一緒にいるいかにも女受けしそうな人当たりの良い男、赤城大地も高等部からの付き合いだった。彼は成績も良く、人望もあり、容姿はとびきり良いというわけではないけれど、和澄に比べれば随分と爽やかで、女子受け、教師受けは男友達の中ではダントツに良かった。
男女問わず人気があり、けれど本人が前面に出ようとはしない。「裏方の方が、俺には合ってるんだよ」なんて謙遜を言って、へらりと笑うのだ。そのくせ世話焼きで、時折お節介とも言えるような行動も取る。(今日のプレゼント選びに呼び出されているのが、正しくそれだ)
一言で表せば「イイヤツ」以外の何者でもない。だが、和澄はこの赤城大地が正直苦手だった。良い奴だし、友達だとも思っている。たぶんこれは劣等感のようなものだと和澄は理解していた。
自分と赤城大地を比べれば、藤野実衣子に似合う男は紛れもなく赤城である。百人に聞いて、必ず百人そう答えるだろうと、和澄は妙な自信さえ持っていた。
実際、赤城はよくもてた。だが、一度たりとも「カノジョ」というのが出来たことがない。その代わり、女友達には良いように連れ回されているらしいが。

「…俺が選ぶよりも、イワさんが選んだ方がきっとみったん喜ぶよ」
「何でだよ。俺は…女の欲しいものなんてわかんねぇし」
「そうじゃなくて。…うまく言えないけど、気持ちの込め方が違うと思うんだよ。だからさ」

こういうところが、いかにもお節介だ。とても居心地が悪い。和澄はどうしようもなくてただ溜息をつく。
誰もこんな所に連れてきてくれと頼んだ憶えはない。そもそも和澄は藤野実衣子とどうこうなろうという気はないのだ。
…いや、全くないと言えば嘘になる。だけど、どう考えても無理だ。それはわかっている。彼女は自分には、あまりに遠くに咲く花なのだ。

「…俺みたいなのに選んでもらったって、藤野は喜ばねぇよ」

お前の方がずっとお似合いだ、という言葉は辛うじて飲みこむ。そこまで卑屈になるのはさすがにプライドが傷つく。

「そんな事ない」

赤城は、やけにきっぱりとした口調で言った。

「みったんはそんな子じゃないよ。それはイワさんが一番よく知ってるだろ」
「それは」
「だったら、ちゃんと選ぼうよ。別に、イワさんだけの為じゃない。これは皆の気持ちもあるんだからさ」

そんな事言えるのは、お前が俺みたいじゃないからだ、と、和澄は内心苦々しく思う。男でも女でも、わけ隔てなく仲良くできるお前だから言えるんだ。
そして、そんな風に思う自分が情けなかった。男臭くて、汗臭くて、朝から晩まで柔道に明け暮れていて、女とまともに話などした事が無い。
だが、変わることは出来るはずだった。それが出来ないのは、先に自分で諦めてしまったからだ。相手にされるわけがないと、初めから距離を置いた。
誰のせいでもない、自分のせいだ。もちろん赤城大地は何も悪くない。
和澄はもう一度ため息をついた。とりあえず、今日一日、ため息をつくのはこれで終わりにしよう、そう決めた。

「………あれがいいと思う」
「え?あれって、どれ?」
「さっき見てただろ。あれだよ」
「あの、ピンクの?」
「違う。その前に見てたやつ」

それからたっぷり一時間はあれこれと、かわいい雑貨屋で男二人で見て回り、プレゼントが決まった頃には和澄はもちろん、さすがの赤城大地もぐったりと疲れていた。
お互いに、こんなになるまで自分たちには似つかわしくないかわいらしいプレゼントを選んでいた事がおかしくて、何だか笑えてくる。

近くのファーストフードの店でコーラとハンバーガーを買い込んで、やっと終わったと天井を仰ぎ見る。座った席のシートの安っぽい合皮が体に冷たかった。
喜んでくれるといいね、という赤城大地の言葉を、水っぽいコーラを飲みながら聞いていた。小さな、可愛らしくラッピングされた紙袋を藤野が手にする場面を、和澄は想像する。
彼女の笑顔を想像して、ほんの少しだけ笑う。あぁ本当に、彼女は何てかわいいんだろう。

「…お前が選んだ事にしとけよ」
「はいはい。ホントに頑固なんだからなぁ」
「その方が、あいつも喜ぶだろ」

その言葉をどういう風に解釈したのか、赤城大地は困ったように苦笑した。

「…なに言ってんの。彼女が悪漢に襲われたときに、俺じゃ助けられないけどお前なら助けられるでしょ。女の子は、そういう男の方が好きだよきっと」
「…言ってる意味がわかんねぇ」
「そういう意味だよ、そのまま」
「お節介な奴」
「そうだね」

反論もない、と言う風に、赤城はおどけて両手を上げる。

「…ヒトの事なら、いくらでも動けるんだよね、俺は」

無意味なBGMががやがやと喧しい。本当に頭が痛くなってきた気がする。
和澄はトレイの上のハンバーガーを手に取り齧り付く。こんな所、さっさと出てしまいたかった。




*********




その日、藤野実衣子は上機嫌でキャンパス内を歩いていた。実衣子は春夏秋冬一年中通して見ても大抵ご機嫌よく過ごしているが、それにしても今日は気分が良い。
お陰で、大学常駐の警備員さん(けれど顔は全然知らない)にまで笑顔で対応してしまった。本当に、歩いているだけで会う人会う人に幸せをお裾分けしたいくらいの気分だ。

先日、友人達が自分の為に誕生日会を開いてくれた。皆、中・高からの付き合いのある大事な友達だ。全員が集まったわけではないが、たくさんの友達に囲まれて幸せな誕生日会だった。
お料理も美味しかったし、ケーキも美味しかった(友達が持ち寄ってくれた)。お花ももらったし(ピンク系のかわいいブーケだった)、プレゼントまでもらった。

そう、あのプレゼント。

思いだして、実衣子はうふふ、と、思い出し笑いをする。友達代表で赤城大地が渡してくれた。赤城大地とは、中等部からの付き合いだが、宿題の答えを見せてくれたり、修学旅行の自由行動時の計画をきちんと考えてくれたり、部屋割もきちんと考えてくれたり、ちょっとコワイ先輩から守ってくれたり、という、実衣子にとっては頼もしい友人だった。友人というよりも兄という感覚の方が強いかもしれない。実際、彼には弟がいて、だからなのか実衣子のことをやはり妹のように何くれとなく世話を焼いてくれるのだった。
もう少し正確に言えば、大地は実衣子だけでなく誰に対してもそうなのだが。

(まぁ、そのせいで大地くんは色々大変みたいだけど)

ふと、誕生会当日に時折見せた大地の浮かない顔を思い出したが、実衣子はそれ以上考えるのを止めた。それはとても個人的で、かつ繊細な問題で、(だが実は問題は単純だと実衣子はにらんでいるのだけれど)だから自分にはどうしようもない。大地の問題だ。

どんどん歩いていくと、目の前には大きな建物が表れ、そこにはまた大きな看板に「第一体育館」と書いてある。こんな大きな体育館が、まだ他にもあるのかしらと実衣子は首を傾げつつも、近くを通りかかった男の人に声を掛ける。
丁度良い。彼は柔道着を着ていた。

「あのぉ、すみません」
「は、はい?」

実衣子に声を掛けられて喉に何か詰まらせたような顔をしている男の子に向かって、彼女は気にも留めずににっこりと笑う。

「柔道部の練習場はこちらで間違いありませんか?」
「はぁ、そうですけど…」
「良かった。じゃあ大岩くん、そこにいますよね?大岩和澄くん」
「あ、あぁ大岩なら…」

そこまで聞いて、彼の言葉が終わらないうちに実衣子はさっさと彼の前を抜けて体育館の中へ上がり込んだ。ここは土足厳禁らしい。
ピンヒールでファーのリボンが付いているブーツを脱いでいる実衣子に、先ほどの柔道着の彼が「何なら案内しますよ」という申し出を、「いいえ、結構です」と実衣子はきっぱり断る。
それは本当に、取りつく島もない、という風な断り方だった。だって、どんなに広くったって体育館なんかで迷うわけないもの、と実衣子は若干傷ついたような顔をした柔道着の彼に追い打ちをかけるようにそう付け加える。

「それじゃあ、教えてくれてどうもありがとう」

お礼だけはきちんと笑顔で言い、白いフリルのスカートをひらめかせながら実衣子はぺたぺたと歩いて行った。迷いなく、どんどん奥へ。



プレゼントを渡され、そして中身を見た時に実衣子はそれをいっぺんに気に入った。見た瞬間に自分が無条件に好きになれるものだと確信したし、そして一生懸命考えてこれを選んでくれた事に感激した。その場にいる皆にありがとうと言った。これを選んだのが友人代表の赤城大地だと知った時には、さすが大地くんはこういうセンスがあるなと感心した。

けれど、嬉しかったのは大地が選んでくれたからではない。

『選んだのは確かに俺だよ、いくつか候補をね』

彼はそう言って、それから声をひそめてこっそり教えてくれた。「優等生」の大地にしては珍しい事だと思った。

『だけど、最後にこれって決めたのは俺じゃない』



柔道の練習場はすぐに見つかった。入口は開け放たれたままで、中からは威勢のいい野太い掛け声が聞こえてくる。おおよそ自分には場違いな所だなと実衣子は改めて実感する。
中を覗いて、程なくして大岩和澄を見つける事が出来た。だが、彼は部屋の奥の方にいて、このままでは気付いてくれそうにない。
練習場の中を突っ切れば簡単に彼の元へ行く事が出来るが、さすがにそれは練習の邪魔になるだろう。というわけで、実衣子は別の方法をとる事にした。

「かずみくーーーーーん!!」
「…なっ!?ふ、藤野っ!」

もちろん、気付いてもらう為に大声を出したのだけど、それにしても一度で気付いてくれるなんて、と、実衣子は嬉しくなる。
練習場は一気に静まりかえり、そしてその中で大岩和澄だけがあたふたしていた。
彼は訳がわからないと言う表情で、実衣子の傍に駆け寄ってくる。白い柔道着の腰にある黒帯がかっこいいなと思った。

「お、お前、一体何でここに…!?学校どうしたんだよ…!」
「和澄くんに会いに来たの。一体大って結構広いんだねぇ、ここまで来るのに時間かかっちゃった」
「会いに来たって…、ちょ、とりあえず場所、変えるぞ」
「うん、わかった」

しんとなる練習場に向かい「お邪魔しました」とぺこりとお辞儀をしてから、「いいからこっち!」と背中を押す和澄に連れられて実衣子はその場を後にした。

実衣子が大岩和澄に会ったのは高等部の時だ。彼は外部入学で、会った時からまるでクマみたいに大きくてがっちりしていてむっつり黙りこんでいて、だからやっぱりそういうところがクマみたいだなと、実衣子は思っていた。
一番驚いたのは名前だった。てっきり「ダイゴロウ」とか「ジゴロウ」とか、そんな名前を想像していたのに彼は「かずみ」というのだ。何てかわいいんだろう!と思い、だから実衣子は彼のことを「イワさん」ではなく「和澄くん」と呼ぶ。もしも嫌がられたら仕方ないけど、今のところ一度もそういう事はないので変わらず呼んでいる。

「ねぇ、どこまで行けばいいの?」

体育館の裏まで来て、実衣子がそう言って後ろを振り向くと、和澄は雷に打たれたかのようにぎしりと止まり、そして俄かに信じられないというような目を向けた。
さすがに少し不安になって、実衣子は和澄を見上げる。

「やっぱり怒ってる?練習中にお邪魔しちゃって」
「いやっ…それは別に…良くはねぇけど、…藤野は、気にしなくていい」

彼は、実衣子を「みったん」ではなく「藤野」と呼ぶ。「みったん」と呼ぶ事を、彼は頑なに嫌がったのだ。何故かは知らないけれど、実衣子は和澄が呼ぶ「藤野」という響きが気に入っているので別に気にしていない。
彼は顔からも汗を流していた。そして、困ったようにぼりぼりと後頭部を掻く。むあっと匂う汗の匂いはまるで動物園の匂いだと思った。
そりゃあそうだわ、と実衣子は妙に冷静に納得する。クマみたいな和澄くんから、花のような香りがするわけないもの。女の子のように甘い匂いがするはずがない。
だから、はば学時代から彼のことを「暑苦しい」だの「汗臭い」だのと陰口を言う女の子たちを、実衣子はバカだと思っていた。バカな子達、そんな物知らずなくせに知ったような顔をして和澄くんを軽蔑するなんて本当に恥知らずだ。
だが、所詮は実衣子には関わりない人達だったので、特別その事について喰ってかかったりはしなかった。第一、そんな敵に塩を送るような事、するわけがない。

「ねぇ、これ見て」

実衣子はバッグから小ぶりの化粧ポーチを取り出す。それは、先日の誕生日プレゼントだった。実衣子の持ち物は大体ピンクか白か、時々黒いものなのだけど、それは爽やかな水色だった。
縁にフリルが付いていて、かわいい。中はごちゃごちゃしないように仕分けが付いていて使いやすい。

「この間、皆でくれたの。すっごくかわいくてお気に入りなんだよ。これからずっと使おうと思って」
「…そうか」

そりゃ、良かった。和澄はそう言って少しだけ笑う。ここまで言ってもこの人は何も言わないのだ。でも、和澄くんはそういう人だと実衣子は知っている。その昔、彼が大嫌いな抹茶味のシェイクを高校3年間知らずに勧め続けた時だって、和澄は何も言わなかった。黙って実衣子が勧めるがまま抹茶シェイクを飲みほしていた。それも一滴残らず。(だって、実衣子は抹茶味が大好きだったので良かれと思って勧めたのだ)

「どうもありがとう」
「別に…それ、選んだのは赤城だからな」
「…うん」

うん、そうだね。でも私、本当は知ってるんだよ。最後の最後、決めてくれたのは和澄くんなんだよね。この間、お誕生会に来てくれなかった理由は知らないけれど、でも、大体わかるよ。和澄くんはああいうのが苦手で、そして自分のせいで皆の雰囲気が悪くなったらって思って遠慮してるの。そんなの、私達が気にするわけないのに。少なくとも私は全然気にしないのに。

もしかしたら来てくれるんじゃないかって、待っていたのに。

(…なんて、言わないよ)

実衣子にとって、和澄は優しくて、そして驚くほど奥ゆかしい男の子だった。何かと言うとすぐに連絡先を知りたがったり、デートしようと迫ったり、会ったばかりなのに馴れ馴れしくも「みったん」と呼んだりする恥知らずな男の子たちとは違う。電話もメールもほとんどないし(悲しいほどに事務連絡のような内容しかなかった)、さっきみたいな時だって、絶対に手を引っ張ったりしない。素っ気なくて、全然こっちを見てくれなくて、だから時々和澄くんと呼ぶのだけれど、そうすると決まって困ったような顔をする人なのだ。

もちろん、そんな和澄だから、わざわざ授業をさぼってでも、一流体育大学まで乗り込んできたりするわけだけれど。

「ねぇ、休憩しよう?サンドイッチ作ってきたの」
「え…でも、練習…」
「和澄くん、卵サンド、好き?それともカツサンド?フルーツサンドは?いっぱい作ってきたから食べてね?」

実衣子は聞こえないフリをして、バッグとは別に持ってきていた紙袋からタッパーを取り出した。紅茶も淹れてきたよ、と言えば、和澄はもう何も言わなかった。怒ったような困ったような顔をして一言「…仕方ねぇな」と言って、その場に座り込む。やった!と、心の中で快哉を上げ、けれども実衣子は素知らぬ顔をして和澄の隣に同じように座り込んだ。

「…大丈夫か?服、汚れるんじゃ…」
「平気だよ。汚れたら洗えばいいし。ねぇ、そんな事より」
「何だ?」
「…来年のお誕生日会には来てね?」
「…っ、こ、この間は練習試合が…」
「来年は、私が先に和澄くんをリザーブしまぁす。ね、絶対だよ?」
「……わ、わかった…」

(本当は、私と和澄くんの二人きり、でもいいんだけどね)

うふふ、と、実衣子は笑った。とりあえずは、こうして和澄と一緒にサンドイッチを食べられるのが嬉しい。
「何で笑ってんだ?」と和澄には変な顔をされてしまったが、実衣子は「内緒だよ」と、魔法瓶の紅茶を注ぎながら、また笑った。





嬉しくて幸せで、笑わずにはいられない。